みえないもの
最近このブログにも、スターやコメントをいただくようになりました。うれしいと同時に、自分の表現したものが誰かに受け取ってもらえてることに、少し不思議な感覚を抱いています。今まで何十年も表出しないで、自己完結で終わってた気持ち、感情。まだブログでしか表出することはできていないけれど、少しずつ自分も変わっていければと思っています。
さて、今日は最近思っていることについて書きます。
いきなりですが僕は公衆浴場によく行きます。
ゲイだからと言って男の人のカラダを見ることが目的で行ってるのではなく、僕自身冷え性なので、岩盤浴をしたいから、ついでにお風呂にも入っていると説明をしておきます。
それでもお風呂に入っていると、自然と男の人のカラダが目に入ってきます。
じろじろは見ませんが、なんとなく見比べたりもしています。ただ思うのは、それで別に興奮したりしないんです。まだ性に対して貪欲だった頃はいまとは少し見方が違っていたのかもしれませんが、最近は、裸か。だから?って感じで、見慣れてきてしまったと言った方が正しいのかもしれません。
そこで自分が思ったのは、服を脱いでカラダの全てが見えたとしても、それ以上のものはあまりみえないと言うことです。
それ以上のものとは、心です。
心とは、ざっくり言うと、その人の物事に対する考え方だと思っています。
お風呂を例にとるなら、お風呂に入る前にカラダをちゃんと洗ってる、とか、タオルで股間を隠してる、なども心の一部だと思います。
そんな物事に対する考え方ですが、「好き」という要素でもっとも重要なのは、その人の自分(私)に対する考え方ではないでしょうか。
考え方は行動に現れますから、自分のことをどう思っているかは行動によって読み取ることができます。
みなさん、ちゃんと態度で示しましょうね!笑
まあ、裸は裸で、彫刻のような美しさがあることは否めません。ただ、ほんとうに美しいなと思うカラダは稀です。
だいぶ話が逸れましたが、とにかく、裸ってそんなに特別?もっと重要なものあるじゃん!って感じたので、書き記してみました。