代わり映えのない日常
そろそろ8月も終りだ。
長いような短いような8月だった。
心のどこかで期待していたことはなにも起こらず、日々がただ過ぎるだけだった。
彼と出会って以降、新しい出会いに関しては完全に閉じてしまっている。
正直いまだに気持ちの整理がついていない。
振られたわけでもないからなおさらだ。と、強がってみる。
半年も経って腐ってるよなぁ…と、弱気にもなる。
そんな複雑な、もやもやした気持ちを抱えながら、
今日も仕事に励む。
元気でいてくれたらそれでいいんだ。
一言声が聞ければ、それだけでいいのに…
この長いトンネルの先に何があるのだろう。
いまやるべきこと
暑い。
桜の時期はとうに過ぎ、ジリジリと焼けるような日差しが照りつける季節となった。
日中の暑さとは対照的に、日が沈んだ後のひんやりと肌に当たる風が心地いい。
少し汗ばんだシャツ、あ、ビールでも飲みに行きたいなと思った瞬間、お酒が好きだった彼のことを思い出した。
理由はわからない。
ただ「今のままじゃ会えない」ってメッセージなのだろう。
過去を振り返って自分を責めてしまうこともあったけど、今は自分の仕事や趣味を充実させる時間なんだと思う。
そういえば、自分のやりたいこと、たくさんあったっけ。
自分がまず楽しまなきゃいけないね。
また自信をつけて再開できるといいな。
小さな勇気
恋人ができたことに関して、お祝いの言葉をいただいたり、スターでリアクションしていただき、ありがとうございます。
ぼくだけじゃなく、相手も含めて祝福されていることがとても嬉しかったです。やっぱりパートナーっていいですね。
そんな中また一つ、人生での初体験をしました。
昨夜、男の親友にカミングアウトしました。
29年もの間、クローゼットだったぼくにとって、人生初のカミングアウトになります。
正直、恋人の存在がなかったらカミングアウトしようとは思っていませんでした。恋人ができた今、親友に打ち明けないのは、恋人にも親友にも失礼だと思ったんですよね。
親友もつい最近彼女ができたって嬉しそうに話していたので、その流れでカミングアウトしちゃいました 笑
「実は女の人を好きになることはないんだ。つまりはそういうことなんだ」
そしたら、驚いた様子もなく、
「男の人が好きでも全然おかしなことじゃないよ」
と言ってくれました。
その後は、ぼくの彼の話やら、親友の彼女の話、人生の話など、親友とだからこそできる話を存分に楽しみました。
まだたった一人にしかカミングアウトしてないけど。
小さな足跡。
春、ご報告。
もう春ですね。
突然ですが、こんなぼくにもようやく春が訪れました。
お相手との関係も少しずつ落ち着いてきたところです。
恋愛経験がほとんどなかったぼくにとって、ここまでくるのは簡単なことではなかったのが正直なところです。
自分とはタイプが違う彼の気持ちを理解するためになんど失敗を繰り返したことか…。
忍耐強い人で感謝しています。
今は彼の気持ちも少しずつ理解することができ、前よりは気持ちに余裕をもって接することができるので、彼にとって居心地のいい人になれるよう、お付き合いしていきたいと思っています。
上手く付き合うために学んだこと
・相手を信じること
・自分の時間を充実させること
大きな足跡。
心のつながり
好きな人ができて、その人のすべてを欲しいと思って、からだのつながりを求めて、彼のからだがぼくのからだの奥の奥に入り込み、それによって快感を得たとしても、それだけで心をつなぐことはできない。
心をつなぐには時間と手間がかかる。そう、種を蒔いて花が咲くまでのように。
ほんとうにしたいのは心をつなぐことなんだよね。
ほんとうに求めているのは心のつながりなんだよね。
大切に大切に育んできたつながりこそ、ほんとうに価値のあるものなんだってことにようやく気付くことができた。
水をあげよう。枯れないように。
そしていつか咲く花を、楽しみに。
花が咲いた後にできる種で、また多くの花を咲かせられるように。
ゲイになる理由
「どうして自分はゲイになったのか」
ゲイならだれでも考えたことがあると思います。
先天的なものなのか、あるいは家庭環境などの後天的な影響によるものなのか。
先日リアルをした人の話です。
その人は家庭環境が少し複雑で、小さい頃から寂しい思いをしてきたみたいで、「こんな遺伝子残さないほうがいい」と言っていました。
ぼくはその言葉に少し驚いたものの、どこか共感を覚えました。
ぼくは専業主婦の母と公務員の父の元に生まれました。
金銭的に困窮したり、どちらかが浮気をしたりといったことが無かっただけ恵まれているとは思いますが、父と母の間には些細な喧嘩が絶えず、ぼくは20年以上もの間、二人の喧嘩の声で毎朝目を覚ましていました。
母はとても不器用だけれども芯が強く、子どもにはとても愛情を注いでくれました。
いっぽう父は、仕事のプレッシャーもあったかもしれないけど、仕事から帰ると不機嫌なことが多く、そのイライラを家族に対して発散するような人でした。子どもに対してもあまり関心のあるような人でもなかったです。
ぼくはそんな父のことを受け入れられず、三年前に母が他界してからはなおさら、口をきかなくなりました。
ぼくがゲイなのは「子どもを残してはいけない」という理由ではないにせよ、「男の人から愛されたい」という気持ちが心の中にあることをありありと実感しており、もし、父が愛情深い人だったらどうだったんだろうと、ふと頭を過ることがあります。
好きな人ができると、この「愛されたい」という気持ちが渦のように押し寄せてきて、とても苦しくなります。だから好きになることはちょっと辛いんです。ぼくがゲイ活動をしていなかった理由はこういうところもあるんだけど、この辛さと向き合った先に何があるのか、そろそろ見てみたいと思います。
色々な理由はあるにせよ、ゲイとして生きる以上は、後悔のない人生を送りたいもの。