小さな足跡

コメントしてくれたらうれしいです。

けじめ

休日になったら書こうと思っていた事があった。

彼への思い、気持ちの変化についてである。

ぼくは気持ちの切り替えが苦手である。

彼からの連絡がなくなってから9ヶ月も経つのにこんな記事を書くなんて…。

でも、やっと書くことができたというか、今だから書けることを書きたいと思った。

いま、冷静に振り返えると、自分は彼に求め過ぎていたんだなと思う。

ぼくは付き合うにあたって自分の気持ちに素直でありたいと思った。相手に合わせ過ぎても長く続かないと思ったから。ぶつかってでも自分の気持ちを正直に伝えて、それで折り合いをつけながら関係を育んでいくことが愛だと信じて疑わなかった。不安な気持ち、嫉妬の気持ちも素直に伝えた。

でも彼は違った。恋愛に対してもう少し冷静で落ち着いていて大人だった。

そんな2人の歯車が噛み合わなくなり、彼はぼくの前から姿を消した。

ぼくは自分の未熟さを責めて、彼との未来が断たれたことに絶望して、暗いトンネルに迷い込んだ。

欲しいものはなくなり、遊びたいとか、美味しいものを食べたいとかいう欲求もなくなった。ぼくの生活から色が消えた。

生きるために働いた。生きるために食事をして生きるために寝た。なにをしても面白くなかったし、そこに意味は感じられなかった。

心のどこかで微かに期待していたことはなにも起こらず、時間だけが過ぎていくだけだった。

少しずつ心から笑えるようになったのは夏が明けてからだった。

時間とともにぼくの中の鮮烈な記憶と感触は少しずつ薄れていった。

そしていま、あの時の日々を直視できるくらいの距離になったのであろう。

彼の幸せを素直に願いたいという気持ちにもなれた。

心の中から嫉妬という気持ちが消えていた。

これがぼくの失恋体験である。

この経験を通して色々考えることがあった。

付き合うとはなにか。

幸せとはなにか。

生きるとはなにか。

付き合う前と後ではぼくはきっと別人だろう。

それくらい長い時間、この問題と向き合い続けた。

新しい出会いを求めるかどうかはまだわからない。

腐ってると呼ばれてもいい。

それくらいぼくには時間が必要なんだ。

ぼくと彼の進む道は違うのかもしれない。

彼を幸せにできる人はぼくではないのかもしれない。

それでもいいから。

ありがとう。幸せでした。

持論

「女の人と話すのが苦手」という記事を目にした。

このことについては自分なりの持論がある。

それは「親子関係は社会関係の縮図」であるということ。

女の人と話すのが苦手と言う人は、母親との関係性が上手くいってない場合が多い気がする。

母親との関係に幼い頃から溝があると、女の人が何を考えているのかが分からなくて、会話やコミュニケーションができないとなるのは必然な気がする。

ぼくの場合、関係が上手くいってなかったのは母親ではなく父親だ。

なので、ぼくは逆に男の人と話すのが苦手である。自分と似たような男の人であれば気持ちがわかるので、話しやすいとなる。

コミュニケーションで大切なのは、相手の気持ちや考えていることが理解できるかどうかである。

知らないことは理解できない、つまりはそういうことなのかな。

だから、父親、母親ともに親子関係がいい人はきっと人間関係で苦労することは少なさそうである。

人間関係で得をする人、損をする人の違いだろうな。

ただ、大人になって、親子関係を抜け出して、男性女性と交友関係を持つことで学んでいった面もあるので、親子関係が全てではないということは付け添えておきたい。

男友達、男の親友、憧れだなぁ〜

自分を知る

最近、自分をカテゴライズするあらたな新たな視点に注目している。

それは発達凸凹である。いわゆる発達障害

具体的に言えばADHDASD傾向。

これを意識し始めたきっかけは「カサンドラ症候群」を知ったことだ。

カサンドラ症候群とは、ざっくり言うと「パートナーの共感性の低さに起因して、心身の不調が現れている状態」である。

よく言われるのが、旦那が妻の気持ちを分かろうとせず、妻が鬱になってしまうなどの状態だ。

パートナーの共感性の低さは、旦那のアスペルガー症候群に起因することが多いらしい。

自分が彼とうまく意思疎通ができなかったことで、調べていくうちにこの状態を知ったのだが、自分と彼との関係もそうだが、何よりぼくの母と父の関係がまさしくこの状態だということが分かって、長年の謎が解けたような思いだった。

以前、このブログにも書いたことがあるが、うちの父と母は仲が良くなく、ぼくは20年もの間、毎朝この二人の喧嘩の声で目を覚ましていた。

印象的だったのは、母が亡くなる数日前にぼくに吐いた「最後の最後まであの人がなにを考えているのか分からなかった」という言葉だ。

母の言葉は怒りからくるものではなく、むしろ冷静だった。

その後に「でも自分の子どもからはたくさんの愛をもらった」と言ってくれたことが、ぼくの心をほっとさせたのだけど。

愛はきっと与えた分だけ返ってくるのかもしれないね。

否、その例外がカサンドラなのだ 笑

カサンドラ症候群について詳しく書かれた本があるので紹介しておく。

この本は、カサンドラ症候群の概要や原因が書かれているのだが、愛着の仕組みについて書かれた箇所が個人的に面白いと思った。興味があれば読んでみることをオススメしたい。

そんなんで、父のアスペルガー症候群の線が濃厚になったのだが、はて、そんな自分はどうなのだ。

アスペルガーの特性について書かれた箇所を読んで、大なり小なり自分に当てはまることが。。

気になってユーチューブで当事者の声を聞いてみると、なんとも共感することが多いではないか。

これまた長年の謎が解けた気持ちであった。

発達障害系ユーチューバーを紹介したい。

ろみの発達障害チャンネル

https://youtu.be/3hOP2gaT2Uw

ぽんこつニュース

https://youtu.be/p31XLS7t1II

Yoshihama Tutomu

https://youtu.be/Mkqb3NA0eik

(ここからなぜか、です・ます調に変わる 笑)

一般的に言われている特性を文字で知るだけでは、なんとなく自分に当てはまってるな〜、くらいにしか思わなかったけど、実際に当事者の言葉を聞くことで、共感できるところがたくさんあって、確信に変わりました!笑

ただ、発達の偏りは誰もがあって、それが個性となっているので、偏りがある、ないの二元論ではなく、現れ方が強いのか弱いのか、どれくらい社会生活を送る上で支障があるのかの度合いで解釈するといいと思います。

ぼくも普通に働いて社会生活を送る上では多少の生きづらさはあるものの、やっていける範囲なので。

ただ、自分を理解する上で、こういう特性があったんだと知ることで、納得することがあり、自分ができないことに無駄にイライラしたり、落ち込むのではなく、得意なことを伸ばしたり、苦手なことはカバーしてもらおうと前向きな気持ちになることがいいんじゃないかと思います。

あと自分一人だけじゃなかったんだと知ることで安心できました。自分もフツーに憧れていたたちなので。

ただ、こういう特性があるからといって、できないことすべて特性のせいにするのはやめた方がいいと思っています。

そこらへんは取扱注意ですね。

あとこれは自分の推測なのですが、LGBTの人はASDADHD傾向を持った人が多いのではないのかな。

大勢の意見や価値観より、自分の価値観、感覚、信念を大切にするという意味で、社会的ジェンダーにとらわれずに、自分が好きになった人を好きになる、というLGBTの姿勢そのものが、まさしくASDADHD的だと思うからです。

発達障害を知る中で、アスペルガーは別れの感覚がイメージしづらいなどの特性があり、そこには共感性の問題が関係しているとありましたが、実はぼくは共感性に関してはめちゃめちゃ感度が高いと思っています。

そのことを説明するための視点として、ぴったりだと思ったのが、HSPです。

ハイリーセンシティブパーソンの略で、生まれつき刺激に敏感で周りの刺激を過度に受け取ってしまう体質のことを指します。

これもまさに自分にぴったり当てはまるなと。

長くなってしまったので、詳しい説明は省きます。

ゲイであることも自分を理解するための一つの視点。

そして、それ以外にも自分とよく似た特性をもっている人たちがいるというのが面白かったので書きました。

そんなこともあって、ぼくはゲイで、ASDADHD傾向をもっており、HSPな人物だということが分かりました 笑

だからなにって感じですけどねー^^

失いたくないもの

ぼくは千葉に住んでいる。

先日の台風の復旧がようやく終わったと思ったら、また台風が近づいてきているらしい。

しかもかなり大型みたいで、もしかしたら家が吹っ飛ぶかも…(前回は雨戸が吹っ飛び、庭の金木犀が一本根元からなぎ倒されるだけですんだ)

そんなことを考えているとき、ふと思った。

でも今のぼくに心から失いたくないものって、あるのかな。

車が吹っ飛ぼうが、家が吹っ飛ぼうが、生活に支障がでて、お金もたくさんかかるし、めんどくさいな、とは思うだろうけど、心から失いたくないもの、なのか。

少し前までは、地震や災害が起きるたび、お母さん大丈夫かな、犬は大丈夫かな、と心がざわめく感じがあったけど、今は幸か不幸かどちらもこの世には存在していない。

僕は生き物が好きだったが、15年連れ添った犬と10年連れ添ったウーパールーパーを看取ってからはしばらく生き物を飼うのはやめようと思った。

別れの辛さを知ったから。

まあ、植物はなんだかんだで3年間、毎年花を咲かせてくれるシクラメンと、小さな鉢に入った梅の木を育ててはいるんだけど。

心がざわざわしない分、気はまあ楽だ。

だけどこないだ、少し強めの地震が起こった瞬間に、心がざわついてしまった。

不安だった。

心配だった。

彼のことが。

無事でいてほしい、ただそれだけ。

好きになると背負うものが増える。

いつか訪れる別れに怯えながら生きていかなければならないかもしれない。

それでもぼくは彼と一緒に生きていきたいと願った。

愛を知ってしまったから。

そんなことを思った週末。

どうか今回の台風では被害が最小限でありますように。

最近みた夢

夢をみた。

ぼくは高い場所にいて、彼が下から心配そうに見つめている。

ぼくは彼を心配させたくて飛び降りたんだ。

網に絡まりながらゆっくりと地面に落下した。

驚いた顔をして駆け寄ってきた彼のことを優しく抱きしめた。

もう離さないって思った。

とても優しい夢だった。

夜空を見上げていた。

空気が澄んでいて雲もなく、星がきれいだった。

一瞬きらりと流れ星が光ったと思ったら、次々に星が降ってきた。

あー、これが噂の流星群か、きれいだな、と思ったけれど、あれは夢だったのだろうか。

恋人とは

自分にとっての恋人ってなんだろう。

やっぱり人生を豊かにしてくれる存在かな。

自分の全部を見せれる人だし、一緒に人生を歩んで行く人。

そばにいてくれたら安心できる人。

辛いときにそばにいて欲しい人。

自分の良さを認めてくれて、必要と思ってくれる人と一緒にいれたら幸せだろうな。

あれ、なんでこんなこと考えてんだろう。

前を向く

本当の事を言うとね、最近まで彼に強く執着していた。

何も言わずに目の前から去った彼。

彼の幸せを願わなければいけないのに、幸せな彼の姿を想像すればするほど嫉妬の感情が湧き上がった。

そして彼がいないところで自分が幸せになることを拒否してきた。

それでも彼と過ごした幸せなとき、優しい言葉や態度を否定することなどできなかった。

彼との未来を信じたかった。

結局、彼を幸せにできなかった自分の無力感だけが残ったような気がしていた。

でもようやく、その感情も薄れてきたような気がする。

心から笑うことを許せるようになった。

またひとり旅にでも行きたいなぁ。